2012年1月5日木曜日

平島邦夫さんから

久しぶりに、平島邦生さんからお手紙が届いた。以下了解を得て紹介します。


気兼ねしないで語り合う社会に
 近日、近所の公園の再整備を前にした地域住民の意見交換会に参加した。参加者は少なかったが、話合いの結果、芝生を運動広場にするための舗装化や樹木を伐採する計画は大幅に縮小された。
 この公園は三方を道路に囲まれた小さなものだが、後日、利用者に声をかけると、多くの人たちが市街地にある緑や樹木の大切さを語り、「街の中のオアシスだ」と言う人もいた。ただ、その後、再度開かれた意見交換会に参加した住民がさほど増えなかったのには残念な思いがした。
 私たちが個人の意見を「社会を築く土台」として主張する意識を持たなければ、社会システムは後退してしまうように思う。諦めたり、周囲に気兼ねしたりして沈黙してしまえば、何も変えることは出来ない。
 大声で自己主張するのではなく、他者のことばにも耳を傾け、互いに意見を交わしながら、明日に向かって進みたい。福島原発の事故で明らかになったように、問題が起きてしまってからでは遅すぎるのだ。                
                           道新「みんなの声」 2011・12.3 掲載





エネルギー問題国民投票現実を
 東京電力福島第1原発の事故を目の当たりにし、これほど深刻な事故が現実に起きたい状は原発を止めるしかないという声は強い。
管直人首相が「脱原発」の方針を表明したのは当然のことだと思う。ところがそれは政府見解ではなく、首相個人の考えなのだという。
 震災以来、自民党も民主党も政争に明け暮れ、原発政策について身動きがとれず、国政はほとんど機能していない。その結果、被災地では人々が復興の活力を奪われ、牛肉や野菜、魚など次々と明らかになる食品の放射能汚染も広がって、国中が萎縮しているように感じる。
 かつて経験したことのない災害で、政治が空回りしている以上、私たちは、私たち自身の気持ちを声を大にして叫ばなければならないだろう。
 原発をどうするか。電力不足にどう対応するのか。これらの問題について、私たち自身が真剣に考えるためにも、国民投票が必要ではないか。日本では憲法改正以外のテーマでの国民投票は認められていないのかもしれないが,是非実現してほしいものだ。
                      道新「読者の声」 2011.07.24 掲載



以下は2011,3.11以前の投稿です。

風力や太陽光で電力自給目指せ
 国際機関の報告によると、風力や太陽光などの再生エネルギーによる2006年の世界発電量は、総発電量の3.4%で、原子力発電のほ四分の一に達し、それに伴い、関連ビジネスが急拡大しているという。(四日夕刊)ところが技術力がありながら日本はこの分野で後れをとっており、とても残念だ。
 私たちはエネルギー資源の大半を外国に頼っている。だからこそ、自給自足できるエネルギー源としての風力、太陽光発電の開発・普及にもっと本腰を入れて取り組むべきではないか。電力会者は民間の風力発電による余剰電気買い取りに消極的といわれるが、それは時代に逆行するものだ。
 「発電時に二酸化炭素(CO2)は出さない」として原子力発電を最優先させる国や電力会社の方針も明らかに間違っている。核燃料のウランは採掘や輸送、さらに燃料に加工するまでの間に膨大な量のCO2を排出しているし、核廃棄物はいまだに最終処分の場所さえ決まっていない。
 記事によると、再生可能エネルギーは、温暖化対策やエネルギーの安全保障の観点からも注目されているという。国や電力会社の再考を求む。
                             道新「読者の声」 2008・3・13 掲載







「無駄な豊かさ」 一つ一つ排除を
 週末に嬉しい記事を二つ読ませていただいた。 
 ひとつは英国の研究者が「同じ面積の土地なら、バイオ燃料の原料となる作物を栽培するより、植林するほうが温室効果ガスの削減効果が高い」との研究結果を米科学誌に発表したという記事。(十八日夕刊)
 もうひとつは、旭川のせっけん工場が、回収した廃食用油からバイオディーゼル燃料を製造、市のごみ収集車や
農場のトラクター、コンバインに使われているという記事。(十九日朝刊「日曜ナビ」)
 化石燃料の枯渇に備えてバイオ燃料を生産する動きが大きくなれば、世界的な食糧不足が生じるのは必然だろう。記事にあるように、作物を原料にしたバイオ燃料を増やすより、より温暖化防止に役立つ休耕地への植林や既存の森林の保全に力を入れる方が賢明だ。また、廃食用油を回収、再利用するシステムの整備にも努めてほしい。
 ただ、最終的には、わたしたちが今の豊かさを持続しようとしている限り、環境問題は解決できない。手近なところから「無駄な豊かさ」を一つ一つ取り外しながら、すすんでいくしかないと思う。
                             道新「みんなの声」 2007・8.26掲載