2011年11月3日木曜日

原発と教育

今日、福島のYさんから写真集が届きました。写真集のタイトルは、「のこされた動物たち。福島第1原発20キロ圏内の記録」本田康介 写真 文 飛鳥新社刊

写真集の帯には「動物も、土地も、家も、桜の木も、みんな待っている。飼い主との再会も、助けられなかった命も。カメラマンが撮りためた助けを待ち続ける動物たちの写真集。」
 Yさんは、この夏二セコに一時避難していてた奥さんと子どもを迎えに来て私の店に立ち寄り、福島の現状とあの時何がおきていたかを話してくれました。「情報が錯綜し、何も知らずにあの日から数日たち、日常の生活が飛んでしまいました。」と。帰り際4枚の写真を置いて行きました。その写真は小学校の校庭を除染しているものでした。ブルーシートに包まれた除染された土が高く積まれた写真。「ここにまた子どもがかえるのですよ。」とYさんが話しました。Yさんは、いまだに続いている原発災害に怒り心頭だと思います。

 同封されていた手紙の文面を載せます。

 「その節はお世話になりました。この夏、ニセコリゾートに滞在させていただきました福島のYです。出会いが遅かったもので、あまり時間がとれず帰福最終日にお店に娘とお邪魔させていただいた父子です。ぜひご拝読いただきたい本をお送りいたしました。お近くの方々にも手を取ってこのたとえようのない哀しい現実を共感していただければ幸いです。
 福島も寒くなりました。物言わぬ草木、無人の子どもの声が消えた公園に申し訳ない気持ちになります。この本は物語っていますね、畜生は人間だと。
 機械がああればまた二セコにお伺いしたいと思います。この夏の寛大なニセコの親切を娘は大切にしています。
                                      平成23年10月15日」

この手紙の中に書かれた「畜生は人間だ」ということに、とてもショックでした。戦争の時と同じかもしれませんね。この本を手にしたとき、朝日新聞に「格差生んでもエリート育成」。大阪府教育基本条例案についての記事が掲載されていました。「国際競争に通用する人材を育てる」として、大阪府の橋本知事率いる大阪維新の会が教育目標を決め、現場を成果主義で競わせる「教育基本条例」を府議会に提出している。成立すれば、政治的中立を原則としてきた戦後教育の大転換となり、影響は全国に波及しかねない。条例案がめざすもは何か」(朝日新聞2011年10月19日付)

 この度のとんでもない災害をなんと考えているのだろうか。「エリート」とは何でしょうか?教育は「エリート」を育てるのですか。今回の事故を考えるとわかるでしょう。
 「エリート」とたぶん呼ばれていたであろう、原発を製造した人間、原発を推進した人間、政治家、東京電力の役員。この人達は何をしましたか。時として「エリート」はおごりをうむのです。この案を出した維新お買い、橋本知事は「格差を生んでよいと思っている。税制や社会保障など、格差是正の制度は別にある。」このような考えだそうです。私はこの人たちに、おごりを感じます。この時代に最も必要なことは「考えられる人間」「考える人間」を育てることが必要ではないのですか。Yさんから手紙と写真集が届きあらためて福島のことを思うと、人間の英知?を集めたであろう原発がこんなにも脆く破壊されてしまい、人間の英知よりもおろかさを見てしまうのです。

 いつからか教育現場は「学校経営」というシステムが導入されました。この言葉が普通に言われるようになったのです。私はこの言葉に非常な抵抗がありました。ここから教育の中に「効率」と「成果」が求められるようになったのではないでしょうか。学校は物の生産工場ではないのです。この原発の事故は決して教育と無関係とはおもわないのです。これからのこどもたちには「考えられる人間」「考える人間」になってもらいたいし、Yさんが書かれたような人間になるのではなく、子供たちがおもいやりのある人間、優しい心を持つ人間に育つことを、大人たちがもっと考えてやりたいものです。福島の子どもたちが5年後、10年後二セコに元気に訪れてくれることを楽しみにしています。
 
 Yさん元気でまた会いましょう。私たちも早く原発が止まるようにがんばります。




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